新宿街角コラム
高級感溢れる大衆文化の中心地「神楽坂」の賃貸オフィス事情
新宿区の東端に位置する神楽坂。坂の上の早稲田と坂の下の飯田橋を結ぶエリアに当たり、時間帯によって一方通行の時間が変わったり、昔ながらの細く入り組んだ小道が広がったりする、日本でも数少ない光景を見る事が出来るエリアです。
神楽坂駅周辺のオフィス事情と周辺環境をご紹介します。
アクセス
神楽坂駅は東京メトロ東西線の駅です。中野からは12分、高田馬場からは6分、大手町からは8分のところにあります。
隣駅である飯田橋へは電車2分または徒歩11分、早稲田へは電車2分または徒歩16分で向かう事が可能です。
神楽坂駅から見て南の箪笥町には、都営大江戸線の牛込神楽坂駅もあり、新宿西口と上野御徒町からは8分、隣駅である飯田橋からは電車2分または徒歩7分、牛込柳町からは電車2分または徒歩11分のところにあります。
神楽坂の周辺環境
神楽坂は、その名の通り、早稲田から飯田橋にかけてを結ぶ坂道を中心に広がるエリアです。
神社のお祭りなどで、神に奉納する為に歌い踊る舞「神楽」と、この坂の周辺が所縁のある地であることから、この名がついたとされています。
早稲田通りの東京メトロ神楽坂駅前から始まり、坂を下りきって飯田橋の外堀通りと交差する地点までが「神楽坂」となっています。この部分は、早稲田通りの中でも「神楽坂通り」と呼ばれ、古くから江戸城へ向かう交通の要衝となっていました。現在では、この通りを中心に商店街が展開されており、通り全体が歩行者天国になる時間帯もあるなど、多くの観光客・買い物客で賑わいます。長い坂道が続くため、途中には休憩用のベンチも設置されています。
さらに、目抜き通りから伸びる細い路地には料亭や芸者屋が点在し、神楽坂の「花街」としての一面も垣間見ることができます。周辺には住宅街が広がり、かつては小説家が暮らしていたなど、大衆文化の中心地であったことが伺えます。
一方、神楽坂の西には閑静な住宅街が広がっており、商店街で賑わう東側とは異なり、マンションも多数立ち並ぶなど、長閑な街並みを見る事が出来ます。中には、著名人が多数暮らす高級住宅街も形成されています。
早稲田と飯田橋の間に延びる長い坂道、神楽坂には、どのような見どころがあるのでしょうか?
日本で唯一、時間帯によって一方通行の方向が逆転する道路
東京メトロ神楽坂駅前から飯田橋の外堀通りと交差するまでの坂道区間が「神楽坂」と呼ばれる部分ですが、車道は非常に狭く、一方通行となっています。しかし、よくある一方通行とは異なり、「時間帯によって一方通行の方向が逆になる」という、日本でも唯一の方式が採られています。
具体的には、平日と土曜日の場合、午前中(0時~12時)は、早稲田側(東京メトロ神楽坂駅前)→飯田橋側(外堀通り、神楽坂下交差点)と、坂道を下る方向に一方通行となり、午後(12時~24時)は、飯田橋側→早稲田側と、坂道を上る方向に一方通行となります。
さらに、外濠にかかる橋を渡った先、東端は千代田区富士見「九段中等学校前交差点」までが、この交通規制の適用区間になっており、その全長は1キロ以上に及びます。この区間内では、曜日や時間帯によって、一方通行の方向が変わる他、歩行者天国になって自動車の通行が禁止される区間も存在します。入口にはいくつもの標識が立っているので、通行の際には注意が必要です。
こうなった理由としては、「交通などのインフラ整備に尽力し、内閣総理大臣も経験した政治家・田中角栄が、邸宅のあった目白台から国会議事堂まで移動する通り道に当たる神楽坂を、午前中は通勤のため、坂道を下る方向に一方通行にし、午後は帰宅のため、坂道を上る方向に一方通行にすることで、都合よく移動しようとした」との都市伝説もささやかれていますが、実際とは異なるようです。
元々は広い道だった神楽坂も、商店街の発展に伴い歩行者が増えたことから、歩道を整備することになり、その結果車道が狭くなってしまいました。しかし、交通量も増え、坂道の途中の商店に車が突っ込む交通事故が起こったり、通常の一方通行では周辺道路が大渋滞したりしたため、現在のような「時間帯ごとに一方通行の方向を逆転させる」交通規制が採用されました。
確かに、午前中は早稲田側にある住宅地から都心方面へ坂道を下る交通量が多く、日中は歩行者が多くなり、午後・夜間になると都心側から住宅地のある西側へ坂道を上る交通量が多い印象があり、交通の流れに即した交通規制になっています。
有名漫画の小さなキャラクターの銅像 コボちゃん像
神楽坂6丁目、東京メトロの神楽坂駅を出て坂を少し下ったところに、小さな銅像があります。人気漫画「コボちゃん」の主人公コボちゃんの銅像です。
漫画「コボちゃん」の作者である植田まさし氏が長年この神楽坂に住んでいることから、商店街の振興組合の企画で製作され、2015年に設置されました。
連載当初の幼稚園生時代という設定のコボちゃん像は、季節やイベントなどに合わせて頻繁に服を着替えているようです。
毘沙門天 善國寺
神楽坂の途中には、坂に面したお寺があり、周辺に観光客・買い物客が多いことから、参拝に訪れる方も多くいらっしゃいました。
毘沙門天 善國寺は、日蓮宗の寺院で、1595年に馬喰町で創建され、度重なる火災による焼失を経て、1792年に神楽坂に移転しました。新宿山ノ手七福神の1つとして数えられ、幸福と財産のご利益がある七福神として知られる毘沙門天が本尊として祀られており、御開帳の日にはそのご尊像を拝観する事が出来ます。
実は、善國寺の創建には、江戸幕府初代将軍の徳川家康や、水戸黄門で有名な光圀公が絡んでいます。家康と信仰のあった住職に土地を与えるなどで支援を行い、毘沙門天を祀る善國寺の開基(支援者)となります。この毘沙門天に信仰を寄せていたのが光圀公で、火災で焼失した後、光圀公はこの寺院を馬喰町から麹町に移転し再建したと言われています。こういった経緯から、徳川将軍御用達の祈願所となり、そこから旗本、大名を経て、一般庶民にも毘沙門天への信仰が拡大していきました。
「神楽坂の毘沙門天」は、江戸時代以降の神楽坂の街としての発展に、大いに貢献していたのです。
細く入り組んだ石畳の小道
オフィスビルが立ち並ぶ東京とは思えない写真ですが、新宿区神楽坂3丁目にある「芸者小道」と呼ばれる路地です。
神楽坂2~4丁目は、大通りから外れると、このような細く入り組んだ石畳の小道が数か所見られます。これはこの一帯が「花街」として栄えたことを示しており、周辺には料亭も点在し、今でも浴衣姿の女性が見られるなど、その名残を随所で見かけることができます。
東京理科大学 神楽坂キャンパス
四ツ谷~飯田橋は外濠沿いに大学が立ち並んでいますが、そのほとんどは外濠より内側の麹町や富士見などにあります。外濠より外側にあり、神楽坂では唯一の大学のキャンパスが、東京理科大学 神楽坂キャンパスです。
前身となる専門学校が1881年に開校、1906年には神楽坂に新校舎が竣工、1949年の学制改革によって東京理科大学となりました。それ以降、この神楽坂キャンパスに本部があり、新校舎の竣工や既存の校舎の改築などが行われてきました。
夏目漱石の小説「坊っちゃん」では、主人公が東京理科大学の前身となる専門学校の出身の教師であったことから、2014年には外堀通りに面した校舎前に「坊っちゃんの塔」が建設されました。上へ伸びていく幾何学的な形状が特徴です。
神楽坂の賃貸オフィス事情
早稲田通りを飯田橋へ下っていく神楽坂は、通り沿いに商店街が形成され、戸建の店舗や中小規模の雑居ビルが立ち並んでいました。神楽坂の下の部分は時間帯によっては歩行者天国になるほど、多くの買い物客で賑わう、生活感のある風景が広がるエリアとなっています。
商店街には、小売業の店舗が多数存在し、飲食店や娯楽施設など、その分野は多岐に渡ります。個人経営のクリニックや薬局、ヘアサロンなどのサービス施設も見られました。一方、昔ながらの商店街の姿は少しずつ薄れつつあり、コンビニエンスストアやレストランなどのチェーン店が次々出店しています。
駅の西側と、神楽坂通りから細い路地に入ったエリアでは、閑静な住宅街が広がっており、周辺には毘沙門天 善國寺をはじめ、多くの寺院や神社、公園も点在しています。かつては小説家などが居住した地域でもあり、料亭などが点在することから、高級感を感じる街並みが広がっています。坂の途中、神楽坂上交差点には交番があり、地域の治安維持を担っています。坂を下るにつれ、飯田橋駅に近づくため、比較的大規模な店舗やビルも目立つようになります。
かつては将軍一家御用達の地域、現在では多くの買い物客が集まるエリアで、高級感溢れる地域ブランドが確立されており、賃料は平均して坪12,000~25,000円前後になり、安ければ坪10,000程度に抑える事ができます。賃料が高くなりますが、面積が広い区画も見受けられました。
オフィス選びはご相談ください
神楽坂周辺の賃貸オフィス事情について、周辺環境を交えながらご紹介しました。早稲田と飯田橋を結ぶ交通の要衝に当たり、日本で唯一の逆転式一方通行を採用した神楽坂通りは、商店街が形成され多くの観光客・買い物客で賑わうエリアになっています。
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